milleperleの日記

26歳OLが脱サラしてイタリア料理留学するまでを綴ります

美しいものは人を幸せにする

こんばんは。mille perleです。

 

今日は、初めてジュエリーを購入しました。

今まで、ジュエリーに興味を持たずに生きてきて、食べることばかりにお金を使ってきました。

 

しかし、会社を退職してから、興味の矛先に少し変化が出てきました。

時間ができたからか、ニキビ肌改善のためのパックをはじめたのが1週間前。

そこから、肌がきれいになったら、メイクも気合いを入れたくなって、化粧道具を一新しました。

化粧道具を一新すると、髪色も変化が欲しくなって、数年ぶりに明るめのブラウンにカラーリング。ほかにも、今まで興味のなかった脱毛を体験してみたり、ダイエットのために新たに食事管理を徹底しはじめたり、美容欲が強まってきました。

 

そして極めつけに本日、ネックレスを購入しました。

欲しいとは思っていたのですが、すぐすぐ購入するつもりではありませんでした。

しかし、とても素敵な出会いがあったので、思い切ってお買い上げ。

今日はその素晴らしい1日を記録しておきたくて書き留めます。

 

購入したものは、クアラントットという、イタリア・フィレンツェと神戸・梅田阪急・GSIXにある日本人デザイナーのブランドのものです。

こちらで購入した大きな理由は3つ。

①イタリアにゆかりのあるブランドが良いと思っていたこと。

②ブランドストーリーが明確なこと。

③接客が本当にすばらしかったこと。

 

事前に大手メーカーのジュエリーも下見していましたが、ピンとくるものがなく、もっと唯一無二で、はっきりとした「買う理由」を与えてくれるものを求めていました。

 

そんな中、今日まで知らなかった「クアラントット」を、一生のパートナーにしようと決意しました。

何よりも接客が素晴らしかった。商品知識が豊富で、何を聞いても的を射た回答をしてくださり、言葉遣いも丁寧だけど親しみもあり、「ありがとう」の使いどころが上手で、ファンを作ることや、ブランドメッセージを伝えることを重視されているのが伝わってきて、絶対にここで買おう!と思わせる魅力がすべてそろっていました。

 

「好き」を仕事にしているってこういうことなのかしら、と。

帰宅後、ブランドのことをもっと知りたくて、デザイナーの方が三宮でTEDのスピーカーとして話されている動画を見ました。

「おいしいものを見て、食べたい!と思う気持ち」と、「美しいものを見て、欲しい!と思う気持ち」は似ているとおっしゃっているのが印象的でした。心がワクワクして、幸せを感じる瞬間です。

私は日々「これでいいのか」「もっと何かできないか」ばかり考えて、悲観的になってしまうことも多くあります。親や親戚は、「こうあるべき像」を無意識のうちに求めてきて、私は「産んだほうが悪いじゃん。こんなことなら死んだほうがまし。私が死んだらどうなるのかな。」と考えてしまうことも少なくありません。

 

でも、今日このジュエリーを手にして、「この輝きにふさわしい女性になろう。」という気持ちがわいてきました。こんなに美しいものを見たら、絶対に死にたいとは思いません。日々の生活もだらしなく過ごすことはやめて、健康にいきいきと生活しようという気持ちになります。日々、人に接する態度も改めようという気持ちになります。この輝くネックレスが私を幸せにしてくれるように、私も美しい心をもって人と接していきたいです。

本当にいい出会いがあって、幸せな1日でした。

 

ついでにもう1エピソード。

昨日、ダイエットサポートのために、プロテインのドリンクを購入したときのことです。

私は食生活をデザインすることを日々の悦びにしているので、

3食のバランスをみて、炭水化物・ミネラル・脂質・カロリーなどを考えて食事をしています。これが賢い選択だと思っています。

でも、プロテイン販売の店員の方は、「女性に必要なビタミン・ミネラル・タンパク質を、これ一つで補ってくれるので、忙しい毎日でもこういうのを賢く活用するのがいいと思います」とおっしゃっていました。

私にとっての賢い選択と、この店員さんにとっての賢い選択が、ゴールは同じだけどプロセスが違うことにとても驚きました。

もちろんどちらが正しいというわけではないのですが、できれば多くの知識を持って食材を選び、調理して、時間をかけて食べる悦びも、週に1回くらいは感じてもらえるように伝えていきたいなと思いました。

かくいう私も、糖質過多と運動不足で増量気味で、プロテインダイエットに手を出そうとしているので、本当に食事だけで体重管理をするのは難しいなと思っています。

 

ひとまず今日は、本当に良い出会いがあった日だったので、すべてのめぐりあわせに感謝して終わりにします。おやすみなさい。

 

 

感性で考える

こんばんは、mille perleです。

在宅勤務が長引き、結局事務所に出社しないまま最終出勤日を終えました。

あっけない終わり方で、私も会社も互いのことを大事に想っていなかったことがよくわかりました。1年半という短い期間、多くの学びがありました。

生き方と学歴はある程度比例するということ、男尊女卑のもとで生きるのは息苦しすぎること、自分の尺度で人を評価してはいけないこと、人の尺度を鵜呑みにしないこと、自分で道を切り開ける人生にしたいということ、私は食べることを心から大事にしていること。

マイナスなことからを多くの教訓を学んだ期間でした。

 

unfortunately,イタリアのコロナがまた再拡大しているということで、イタリア行きはしばらく延期にし、アルバイトで自由に過ごそうかと考え始めました。

まあアルバイトの面接で学んだことは、「飲食のオーナーは、視野の狭いお山の大将が多い」ということ。サラリーマンとしての経験があるって、私の未来にはとてもプラスにはたらくということがよく分かった。

 

27歳でいろいろな経験されていますねって言われることが多くなったけど、それってつまり「何も継続できていないよね」って意味だと解釈しています。そんなコンプレックスを克服すべく、私は食をテーマに生きることを決めた。

 

で、ひょんな出会いがあり、アルバイトのつまりだったけど、正社員として働かせていただけそうな先が見つかりました。それもとても悩むというか、難しい決断だったのだけど、「点」と「点」がつながる瞬間だったと思って、またエッジのきいた世界に飛び込むことになりました。

 

私は、何をするにも納得するまで調べて、メリットデメリットを考えて、人の意見も聞きまくって、とにかく考えることが大好き。(それがゆえに小難しい顔つきになってしまうのも自覚している)。

 

そんな私を見透かして、「クリエイティブを求められる仕事では、感性で考えることを大事にしよう」と教わった。私の感性って何かしら?ってまた考えてしまうんだけど(笑)

だから、なんとなく、この船乗ったほうがワクワクしそう。と思って決めてみた。

きっとつらいことが山ほど待っているんだけど、自分を磨くために必要なことだと思いたい。

 

でもそれがきまった途端、美容意識が高まったり、意固地になって連絡をとっていなかった友人に連絡できたり、なんだか少し吹っ切れた。

 

あと、私はとってもイラチだから、それを改善していきたい。

私の未来に幸せを手繰り寄せられるように。

 

最近のインプット。変化しないことが怖い。

こんにちは。

また在宅勤務がはじまり、通勤時間の分がインプットに充てられて

充実しています。

 

ネットフリックス

食べて、祈って、恋をして(原題:Eat Pray Love)』

 主人公が自分探しのために、イタリア・インド・バリを旅するというあらすじで、シンパシーを感じたので視聴。

原作は、エリザベス・ギルバート、主演はジュニア・ロバーツ。

 仕事、結婚を経た30代のジュニアロバーツが、人生に満足できていない自分に気づき、離婚をしてから1年間の旅に出る。はたから見たら順風満帆でも、本人にとっては「このままではいけない、いたくない」という基準があると気付いた。

 この作品で描かれるイタリアは、とにかく性の無法地帯のようでおどろいた。(ちなみに2010年の作品)全世界共通でイタリアに対するイメージは、LOVEのよう。作中、イタリア人の生き方として、「何もしないことを楽しむ」「快楽は悪じゃない」と描かれていた。

 自分を表す言葉はなに?と聞かれたとき、ジュニアロバーツは、良い娘だったけど、良い妻ではなかった、今はライターの自分しか残っていないと語る。それに対して、「それは職業だから、あなた自身を表す言葉を見つけないとね」といわれる。

 私だったらなんと答えるだろう。「刺激を求める遊牧民」にしようかと最近は考えている。

 映画自体は、結局、恋をして終わるだけど、そのへんが私との違いというか、「あれ?結局恋しないといけないの?」って。自分探しした結果が、恋なんだ~~へ~~って。私のこの恋に対する軽視も、イタリアに行けば少しは変わるのかしら。

 

恋するベーカリー

 メリル・ストリープ主演。2009年

 パン屋さんの話かと思って見てみたけど全然違った。洋画はそんなにたくさん見るわけじゃないけど、そんな私でも何度も目にするメリルストリープ。マンマミーアとか、ジュリー&ジュリアとか、プラダを着た悪魔でも拝見。

 還暦男女の不倫の話だから、それほど面白くはなかったけど。娘役のゾーイカザンと、ケイトリンフィッツジェラルドが可愛すぎたからメモ。

 

Amazon Kindle

『10年後、後悔しないための自分の道の選び方』ボブ・トビン

 私の好きなタイプの自己啓発本。特にぐっときたのは、大学院に進学するなら、ブランド(ネームバリュー)も意識すること。社会人になってから学びなおすこと、同じ志をもった人たちと議論を交わすこと、ある程度名のとおったところにいかないと意味がないということ、腑に落ちた。私の次のステップにいかそうと決意。

 

スローフードの奇跡』カルロペトリーニ

 私がイタリア行きを意識するきっかけとなったスローフードの本を再読。

内容は見事に忘れていたのだけど、やはり読むとわくわくする。キーワードは「おいしい、きれい、ただしい」。おいしいは世の中のほとんどの食べ物がクリアしていると思うけど、きれいとただしいをクリアする食品は少ないというか、自分では識別不可能なのが現実。きれいとは、その食品の生産流通プロセスが環境に配慮されていたかどうか。フードマイレージもこの領域。正しいとは、その食品の生産過程で不当な扱いを受けた人々がいない。フェアトレードとはこの領域。

食だけじゃなく、世界の仕組みすべてに知的好奇心を持ち続けて、正しい(こうあるべき)と思える選択を求められているのだ。

 スローフードの原点には、「有限な資源を、後の世代にも受け継いでいく」という考えがあるように思う。これは私が最近考えている反出生主義とは対極にある。今後も人間が生き続けることを前提にしているから。でもイタリアの出生率は日本よりも低いから、そこは謎。イタリア人って子供をもつことにどんな意識なんだろう。。

 で、イタリア帰国後のプランは未定中の未定なのだけど、食と社会生活の研究をしたいと思い始めた。それで大学院に進もうかなと。

 もう一つ感慨深かったのは、「時間がかかってもいいじゃないか」ということ。自分がくちに入れる食品を時間をかけて選び、調理し、食べることに時間をかける生き方をしたいと思った。北新地のサラリーマン・OLがコンビニの袋を持って歩いている姿をみると胸がいたむ。もっとおいしいもの、背景の見える食事ができればいいのにと。

でもかれらはそこに問題意識を持っていない。それでも十分暮らして生きている。そこが大きなわたしの葛藤。私の「こうあるべき」を押し付けず、「こうあったらよくない?」とフランクに問いかけられる活動家、社会変革家でありたいね。

ガストロノミーは、幸せを追求する学問という観点も忘れたくない。私は幸せを感じていなくて、幸せを追い求めるがゆえに、食を求めてイタリアにいく。まさに私の行動って、ガストロノミー的じゃない?と悦に入る。

 別の雑誌で、コンフォートフードの特集を見た。オーガニックとか関係なしに、純粋に自分がほっとする食事のことがコンフォートフードと呼ばれるそう。コロナで塞ぎがちな生活で、ほっとする食事・食べたくなるものを調査すると、アメリカ人はピザ、チョコレート、クッキーなどが上位にくるみたい。日本だとおにぎりなのかしら?

 

ひとまず最近のインプットから学んだことを書きなぐったけれど、

やっぱりスローフードの考え方が好き。

「正しいかそうじゃないか」で生きることって息が詰まりそうになるんだけど、情報過多の社会で、自分の選択に責任をもつことって、文化レベルが高くないとできないことじゃないかなと思う。どんな分野にも知的好奇心を持ち続けたいし。

 

またもう少ししたら、考えを整理しよう。

 

 

コンプレックスを語る

こんばんは。

正月休みで時間をもてあまし、また例のごとく自分を見つめていたら、

コンプレックスを母にぶちまける暴挙にでてしまいました。

 

私のコンプレックス

・容姿(母と兄は鼻が高いのに、私は醜い父に似て鼻が低い。太っていた。)

 その昔、自分の顔が嫌いでしかたなかった。写真も嫌いだった。

 でも兄は、奥様方から大人気。かっこいいかっこいいといわれていた。

 かっこいい兄は自慢だったが、それに比べて自分は。。。と思って生きてきた。

 中学から大学まで女子校に通ってしまい、思春期に男性とかかわりを持たなかったことは、私をより卑屈にさせたと思う。当然彼氏もできなことがなかった。なんなら典型的なジャニオタだった。

・学歴

 私には、10歳上のいとこ(会社経営)、8歳上のいとこ(獣医)、2歳上の兄(上述、そこそこの学歴)がいる。もう、かれらと比べられるのが嫌でしかたない。私の自己肯定感の低さは、常に上に彼らがいて、かなわないと思ってきたからだと思う。

・家庭環境

 私の父は、無職・軽度のDV・うつ病を患っている。父がせめてまともだったらどんなによかったか。変えられない運命を受け入れる勇気をもつしかない。byカーネギー

 

見事なコンプレックスたち。よく生きてるな私。

 

今まで秘めていたこれらのコンプレックスを、何を思ったか、母に全部ぶちまけてしまった。「生きるのしんどいわ」という言葉とともに。

すると母は、「あほ!ほな死ぬんか?!」と激昂。

まあ、母からすると、鼻からスイカを出す思いをして生んだのに、死にたいなんて言われちゃ、労に見合わないよなと、あとになって思いなおした。

でも、こんなコンプレックスの塊で、どうやったらみんな楽しく生きているんだろう。

 

世の中の人に聞いてみたい。

何が楽しくて生きてる?

何のために子供を産むの?

その子供の幸せを担保できるの?

どうしてこんなに苦しいのに生き続けないといけないの?

 

反出生主義というのを最近知った。今生きている命を無駄にすることは、道徳上できないけれど、この苦しい世の中に新たな生を生み出すことはもう止めにしようという考え方と理解している。

 

私は数年前から無月経なので、子供を産みたくても産めない体かもしれない。その前に、パートナーもいなければ、産みたいとも思っていない。私は自分の子供がこんなに苦しい思いをしてまで生きてほしくないから。

ちなみに、先日婦人科にいったとき、初診の問診票記入欄に、職業を記入する欄があった。そこには、「主婦・パート、アルバイト・フルタイム」という順で選択肢があった。時代錯誤だと思った。(女医の医院なのに)

 

自分で自分のことが分からなくなることがよくある。人見知りは基本的にしないし、だれとでも話せるのだけれど、出来上がっているコミュニティに新参者として入るのがめっぽう苦手だったり、心が通い合うのが怖かったり、誰かの一番になってしまったらずっと一番でいないといけない恐怖心に耐えられなくなったり。生きづらい。

 

コンプレックスを持ちすぎたようだ。

 

Vacanze invernali

こんばんは。mille perleです。

昨日から年末年始の冬休みに入りました。

今年の冬休みは、おせちづくり一色です。

 

お休みが続くと、ついいろいろと思いふけってしまい、精神衛生上あまり健全ではない状態です。

 

コピペ人間

こんばんは。mille perleです。

 

今日はただの愚痴です。

職場に、同い年の営業事務職の同僚がいます。

私は営業職なので、彼女がアシスタントとして事務作業を助けてくれています。

ノリの良い子で、気も合うし、面白いのでとても働きやすいのですが、

彼女はとにかく自分で考えることをしない性格です。

 

何も考えずにコピペだけして、客先にメールを送ってしまうので、

一から百まで説明しないといけません。

私はまだマネージャーというポジションになったことがないので、

指示の仕方を深く考えたことがなかったのですが、

彼女と接していると、言われたことしかしない人とのかかわり方を

考えさせられます。

 

ひとつは彼女のモチベーションをあげることも解決の手であるとは思います。

ただ、職責として、私は彼女の上司ではないので、私が指導するのはお門違いだと思います。

でも、仕事はちゃんとしてほしい。

 

私は今の会社を辞めることが確定しているから、もう少しの我慢だと思って耐えられますが、ずっと一緒に仕事をしていくと考えると、彼女のような社員とどう一緒に頑張っていくのか、組織的な課題だと思います。

 

もし自分が独立して、一緒に働いてくれる仲間ができたとき、仲間がワクワクしながら働ける環境をつくること、夢を持ってもらえること、面倒を見られるくらいの心の余裕をもつことが求められると気付きました。

 

『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』八木心平 著

を読みました。

やりたいことを見つける方程式がこれです。

「好きなこと×得意なこと×大事なこと=やりたいこと」

私の場合

「料理×人前で話すこと×洗練」です。

 

特に、印象的だったことが、

「好きなこと」をしていても、「大事なこと」がマッチしていないと、それはやりたいことにならないということ。

私は前職が農業関係で、農家に営業していました。

食べることも野菜も大好きで、いわゆる「好きなこと」を仕事にしていたといえるでしょう。でも「何か違う」ともやもやして結局は退職しています。その理由が「農業の泥臭さ」と「私の大事なこと=洗練、ドレッシー」が合わなかったことだと思います。

 

移動は常に作業着、日焼け、雨風、ホコリ、堆肥の臭い、農薬散布、農家のデリカシーやモラルの低さ、に辟易していました。

また、人前にでることが好きな私が、田畑にポツンといることに耐えられませんでした。誰もいない畔で、ひとりで農薬を散布していた自分をほめてあげたい。

つまり農業は好きだけど、やりたいことではなかったのです。

 

では私が来年から挑戦する料理人という選択肢はどうでしょう。

これまた泥臭い世界なので、しっくりくるとは思えません(やばい)

料理人は常に自己表現の場なので、人前で何かすることが好きな私には、そう外れていない選択肢だと思います。あとは、洗練さとかドレッシーをどう叶えるか。

自ら作らなくても、「料理の良さを紹介する語り手」みたいな選択もいいのかなと思ったりします。その昔、貴族の食事会のときに、一つ一つの料理の解説をする司会者みたいな仕事があったそうです。それなら、私の「やりたいこと」すべてを兼ねるのかしら。情報を提供する側の人になりたい。この料理の構成はこうで、食材はこうで、とか、ただ与えられたものを食べるだけだと犬と変わらないから、もっと文化的な教養も付加しながら食べられる場所を提供したい。

 

ちょっと自分の進む道が見えた気がするな。

 

ちなみに現職は、好きなこと・得意なこと・大事なこともすべてマッチしていないから苦しいんだと気付きました(笑)

愚痴から始まった今日のブログですが、頭の中を整理しているうちに、新たな気付きがありました。うれしい。

 

年内のこり3日間。耐えよう。

Buon compleanno!!

Buongiorno a tutti!!

先日27歳の誕生日をむかえました。

 

生きづらさを感じる毎日で、心から笑える瞬間の少ないことに苦しくなります。

 

お昼休みに自分のデスクに戻ると、

職場の同期とパートのミセスが、「お誕生日おめでとう」のメッセージといっしょに、

源氏パイ2枚・ビスコ1袋を置いてくれていました。

 

もちろんその気持ちに有難さは感じるのですが、

27歳の誕生日を、駄菓子で祝われるみじめさに、なんとも悲しい気持ちになりました。こんなことなら、お誕生日おめでとうの一言だけで十分なんです。私は27年生きてきて、「駄菓子でいいやろ」と思われる価値しかないのだと思うと、本当に惨めで苦しい気持ちです。

 

でも、私もいつも彼女たちに対して、「お金の話ばっかりして醜いな」「あの人達に、いいものをあげても価値がわからないだろうな」という目で見てしまっていることは確かです。

他人は自分の鏡なんだと猛省しました。

私は幼いころから、人様に差し上げるものはそれなりのものじゃないといけないと思って生きてきましたが、それがすべてじゃない世界があることを学びました。

 

ただただ悔しい。これほどの価値しかないと思われていることが悔しい。

駄菓子で満足できる人間だと思われていることが恥ずかしい。

 

あの人にはそれなりのものをあげないと、似つかわしくないよねって思われる人間にならないとなと、自省しました。

 

全然ハッピーじゃない誕生日の気付き。。

 

来年も無事に誕生日を迎えられることと、少しでも事態が好転していることを願って。

胸の詰まる思いでした。

 

補足

カップルからは、リッツカールトンのアフタヌーンティーチケットを。

親友からは、こだわりの食器を。

幼少期のピアノの先生には、Far Eastのシュトレン、カラカラのエプロンをいただきました。

私を大事に思ってくれる人がいることに、心から感謝です。

精いっぱいの愛を返していきたいと思います。日々精進。